KERISの前から車体は古いが乗車券チェックシステムが最新式の市内バスに乗り、地下鉄「南部ターミナル」駅で下車。南部ターミナル駅から地下鉄三号線に乗り「大清」駅下車。駅のすぐそばにある中東高等学校で中学校の場所をたずね、歩いて7〜8分の中東中学校に向かう。昼食を食べる時間がなかったので、途中でウインナーなどを立ち食いする。
中東中学校訪問は李章柱氏の尽力で実現した。インターネットの各種サーバがあるのが、全国でここだけなので、見学者が絶えない。そこでサムソンから派遣されてサーバ管理やホームページ作成などを行っている教育情報部の慮部長が見学の受け入れに乗り気ではなかった。李章柱氏の強い要請と教頭先生の協力で、了解をとりつけたという。李章柱氏は、この学校と同じ地域に住み、サムソン病院と契約している息子さんの薬局の業務を手伝っている。
実は、中東中学訪問には、別の問題が起きた。中東中学校を訪問する前日、李章柱氏に電話をしたところ、中東中学訪問のOKはでたが、公文書を用意しているかと問われて答えに窮した。大阪府私学教育工学研究会がどのような組織かを証明する書類か、会長印を押した依頼書がないと格好がつかない、そんなこと常識ですよといわれて、頭をかかえこんだ。
結局、インターネットに接続されたホテルのパソコンを借りて、ホームページから会長印と保存しておいた英文依頼文書を修正して、出力したところ、会長印が朱色で表示された。カラープリンターだったのだ。ということで、ユン・テイク校長に無事お渡しすることができ、中東中学や李章柱氏に迷惑をかけずに済んだのだ。
96年に中東高等学校を訪問したころ、ソウルの他校の先生の話では、中東学院は評判が悪く経営悪化でサムソンが買収したということであった。この96年というのはサムソンが中東学院を買収して、まだ2年しかたっていない時期であったが、今回、中東中学校を訪問したいと李章柱氏に話すと、評判のよい名門校だという。
で、この学校を訪問して驚いた。まず、入り口の廊下の天井に吊らされているモニターに、大阪府私学教育工学研究会訪問歓迎と表示されている。最初、女性の事務職員かと思っていたソン先生に案内されてプレゼンテーションルームに案内されて、また、驚いた。本日の見学スケジュールがハングルワープロで出力され、配布されたのだ。プレゼンテーションから、校舎見学、図書館、放送室、最後に教育情報室へと時間設定も含めて記載されており、見学終了後は、玄関の前で記念写真をとることも予定に組み込まれていたのだ。訪問予定のこちらの人数にあわせて、ジュースを用意していただいていたのも驚きだった。
事務職員と思ったソン先生は、韓国のICT教育でも超有名な先生だという。他の先生たちが、そのソン先生から学校紹介ビデオを見せてもらっている間に、李章柱先生と校長室に案内された。そこで、また驚いたことに、ユン・テイク校長先生は、96年に中東高等学校を訪問したときに案内していただいた教頭先生(当時)だった。そのときは、飛び込みで訪問したのにもかかわらず、親切に対応していただいた。車でこの中学校まで連れてきていただき、教育情報室を見せていただいた。英語の先生で、気さくな方だったが、学校案内によれば、90年に中学校の校長に昇格している。
そんな思い出話をしているときに、中学校の教育情報室を「サムソン教育研究所」という中学校から独立した研究機関と勘違いしていたことがわかった。なぜ勘違いしていたかというと、96年当時、サーバとしてDECか何かのミニコン(ピュータ)が置かれ、サーバ室には、ごみやホコリが入らないように注意して入ったことを記憶していたことや、室長の名刺に、サムソンと書かれていたことから、ここはサムソンが教育分野に進出するために設置した教育研究機関だと思いこんでいたというわけだ。そんな話をしているときに、その教育室長の魯さんが校長室に呼ばれて入ってきた。物腰が学校の教員と違う研究者風の魯さんを私は記憶していたが、彼も覚えてくれていた。
その後、プレゼンテーションルームに入り、ユン・テイク校長のスピーチが始まった。30分以上にわたり、韓国のICT教育事情や中東中学校の再建事業について熱弁をふるっていただいた。最後に玄関前で写真を撮ろうとしたときに、校長もやってきて、写真の中に入っていただいたのには、頭が下がる思いであった。
なお、放送室に生徒が作成したビデオ作品がたくさん置かれていたので、案内のソン先生に、「(ビデオ製作は時間がとられるので)勉強に差し支えませんか?」とたずねたところ、「喜んでやっていますよ。頭がいい子たちですから(勉強には影響しない)」と語っていた。
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地下鉄から上がった所で,立ち食い
中東中学校の校舎
私達の歓迎をモニターでも・・・
ユン・テイク校長先生のスピーチ
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